高松高等裁判所 平成7年(ネ)106号 判決 1996年2月27日
控訴人兼亡田邊義治訴訟承継人
田邊武夫
右訴訟代理人弁護士
藤原充子
同
小泉武嗣
被控訴人
国
右代表者法務大臣
長尾立子
右指定代理人
早川幸延
外六名
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
二 被控訴人は、控訴人兼亡田邊義治訴訟承継人田邊武夫に対し、金一一〇万円及びこれに対する昭和六三年一二月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 控訴人兼亡田邊義治訴訟承継人田邊武夫のその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審を通してこれを一四分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人兼亡田邊義治訴訟承継人田邊武夫の負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取消す。
2 被控訴人は控訴人兼亡田邊義治訴訟承継人に対し、金一四六六万六六六六円及び内金一三三三万三三三三円に対する昭和六三年一二月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二 事案の概要
本件は、亡戸田幸代が手術を受けて退院後、中毒性表皮融解壊死症(以下「TEN」という)により死亡したことについて、薬剤の副作用によるものであり、医師の投薬等に過失があるとして、遺族である実父と弟が被控訴人の債務不履行による損害賠償及び不法行為(使用者責任)による固有の損害賠償(慰謝料)を請求するものである。
一 争いのない事実並びに証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認定できる事実については、次のとおり訂正するほかは、原判決「事実及び理由」の「第二 事案の概要」の一項に記載のとおりであるからこれを引用する。
1 原判決二枚目裏九行目の「原告田邊武夫」から同一一行目末尾までを「控訴人兼亡田邊義治訴訟承継人田邊武夫(以下「控訴人武夫」という)は、亡戸田幸代(以下「幸代」という)の実弟であり、亡田邊義治は幸代の実父である。亡田邊義治は平成二年六月二九日死亡し、控訴人武夫がその相続分に応じた三分の一について訴訟を承継した。」と改める。
2 同三枚目裏二及び五行目、同四枚目裏六及び九行目の各「デパゲン」をいずれも「デパケン」と改める。
二 控訴人の主張の概要
1 豊永医師が幸代に投与した薬剤のうち、アレビアチン、フェノバール、ラキサトールは、TENの発症可能性が指摘されている薬剤であり、本件TENは、幸代が退院後服用を続けていた右各薬剤もしくはその相互作用による副作用が増悪した結果であって、豊永医師の右各薬剤の処方と幸代の死の結果との間には相当因果関係がある。
2 豊永医師の注意義務違反
(一) アレビアチン等の投与
幸代が薬剤アレルギー体質であったことは初診時のカルテにも記載されていたのであるから、手術後の昭和六三年一〇月二八日(以下、昭和六三年の場合は年度を省略する。)ころ、抗痙攣剤の投与を開始するに際しては、より副作用の弱いデパケンを投与するか、早期にデパケンに切り換えるべきであったのに、劇薬、要指示薬であり、副作用発生の可能性の強いアレビアチン、フェノバールを投与し、量も過剰であった。
また、抗痙攣剤の併用も避けるべきであった。
(二) 説明義務違反
医師には、医師法二三条もしくは民法六四五条に基づき、患者に対して薬物治療を含む診療に関する情報を十分に説明し、納得の上で治療すべき医学上の責務がある。
豊永医師は、幸代が過去に薬物に対し過敏な反応のある患者であることを知っており、アレビアチンの能書には薬物に過敏な患者には慎重な投与をなすべきことが指示され、昭和六〇年七月一三日付厚生省副作用情報No.73には、アレビアチンによって重篤な皮膚症状(スティブンス・ジョンソン症候群、ライエル症候群、SLE様症状という副作用)が発症することが記載されていて、これらの副作用については熟知していたにもかかわらず、右薬剤の副作用についての情報を幸代に全く説明せず、治療行為の諾否を決定するのに必要な事項についての説明を怠った。
即ち、第一に、幸代は過去に薬物に対し過敏な反応のある患者であって特に注意をしなければならない患者であったこと、第二に、副作用の結果は死に至る可能性の高いものであったこと、第三に、幸代は薬剤の副作用に関する知識が皆無であり、アレビアチン等の副作用を予測することは不可能であったこと、第四に、医療行為上、脳手術の際に抗痙攣剤を使用しない、あるいは条件付で使用するとの考え方もあること、第五に、脳手術の際に抗痙攣剤を使用するとしても、その薬剤の種類は各種あって選択の余地があること、等の事情からすれば、幸代にとって薬剤の副作用についての説明が、治療行為の諾否を決定するのに極めて重要な事項であった。ところが、豊永医師は、幸代に対して右薬剤の副作用に関する情報を全く説明していない。
(三) アレビアチン等の投与を中止すべき義務違反
一一月上旬ころ、幸代には喉の違和感等の症状が出ており、これは約一〜二週間後にTENを発症させるための感作成立に関与する急性上気道炎であるかまたは薬剤性TENの発症にそのままつながる前駆症状である可能性があるのであるから、医師としては副作用の有無について十分な観察をし、被疑薬について、中止もしくは慎重な投与をする義務があるのに、減量等もすることなく投薬を続けた。
(四) 情報提供義務違反
一一月一六日の幸代の退院に際しては、劇薬であるアレビアチン等を自宅で服用させるのであるから、同人に副作用についての情報を提供し、皮膚の斑点、かゆみ等の症状があれば連絡させるなど、TEN等の副作用の発症を防止するための留意事項を指示説明すべき義務があるのに、これを怠った。
即ち、「何かあればいらっしゃい。」との一般的表現であれば、患者は病気についてのことと理解し、薬の副作用のこととまで思わずに服用を続ける可能性が高いのであるから、具体的に「皮疹が出た場合には連絡するように。」或いは「薬には効果がある反面、副作用というものがあるから例えば皮膚に斑点が出てきたとか、かゆみとか何か変わった症状が起きたら医師に知らせなさい。」と説明すべきである。そして、このように具体的に説明することは医師にとって何ら不可能、困難なことではなく、また、幸代に服薬拒否を起こさせるものではない。
もし、右のような説明があれば、幸代は一一月二〇日ころに皮疹が生じた時点で薬疹であることに気づき、適切な治療をして死の結果を回避することができた。
また、便秘薬であるラキサトールの投与についても、同種の副作用の発症が指摘されているアレビアチン等の投与中にこれに加えて投与する場合は、その相互作用によって強い副作用が生じる可能性があるから、副作用防止のためにアレビアチン等と同様の説明をすべきであるのにこれを怠った。
(五) 一二月二日の診察時に、豊永医師は、幸代の薬疹に気づいたのであるから、直ちに入院等の適切な処置をとるべきであるのにこれを怠り、内科を紹介したに止まったために皮膚科での治療が遅れた。
3 控訴人の損害
(一) 親族としての固有の慰謝料請求権として金一〇〇〇万円及び亡田邊義治の慰謝料請求権金一〇〇〇万円の法定相続分金三三三万三三三三円、合計金一三三三万三三三三円
(二) 弁護士費用として金一〇〇万円及び亡田邊義治の請求権金一〇〇万円の法定相続分金三三万三三三三円合計金一三三万三三三三円
三 被控訴人の主張の概要
1 幸代のTENの発症が、豊永医師のアレビアチン等の投薬によるものであることは争う。同症は右アレビアチン等各薬剤以外の薬剤や感染症によっても発病しうるのであって、因果関係を特定することはできない。
2 豊永医師の過失については争う。
(一) アレビアチン等の投与について
痙攣発作を起こしやすい髄膜腫の手術後に抗痙攣剤を投与することが不可欠であることは、臨床医学の実践における医療水準に照らし疑問の余地がなく、豊永医師の投与した抗痙攣剤の量は、いずれも通常の用量内であったから、投与量が過剰であったとはいえないし、アレビアチンとフェノバールの併用も現在最もよく用いられている投与方法であり、適正なものであった。
(二) 説明義務について
医師の説明義務は、患者の自己決定権に由来するものであるから、死亡や重篤な後遺症等の重大な結果の発生が一定の蓋然性をもって予測される医療行為を行うという、患者の自己決定を必要とする重要な局面以外では存在しないものと解される。幸代に投与されたアレビアチン、フェノバールによってTENが発症することは極めて稀なことであって、一般的にも薬剤を投与した場合の薬疹の発症率は約1.1パーセントであり、薬疹を発症した患者のうちTENを発症するのはわずかに約0.2パーセントにすぎないのであるから、薬剤を投与してTENを発症する確率は約0.0022パーセントであって極めて低く、死亡や重篤な後遺症等の重大な結果の発生が一定の蓋然性をもって予測されるとはいえない場合である。したがって、豊永医師には控訴人の主張するような説明義務は存在しなかった。
また、豊永医師は、幸代が過去に薬疹と思われるような皮疹を経験したと聞いていたことから、幸代に対し、アレビアチン、フェノバールを投与して一日ないし二日経過しても薬疹の出ないことを確かめて、幸代がこれらの薬剤に感作されていないこと、すなわち薬物過敏症でないことを確認して投薬しており、その措置は極めて適切であった。
(三) 投与を中止すべき義務について
咽頭痛などの上気道炎症状は、通常ウィルス性の感染によって生じ、アレビアチン等によってTENが発症するのは極めてまれであって、しかもTENの発症を予測できるのは、表皮に摩擦を加えるとその表皮が剥離するニコルスキー現象が確認できる段階か、眼が充血して皮膚粘膜がびらん状になる皮膚粘膜眼症候群(スティーブンス・ジョンソン症候群)が確認できる段階であるから、幸代の咽頭痛などの上気道炎症状がTENの初発症状であるとは到底いえない。
したがって、豊永医師がTENの初発症状を看過したとはいえない。
(四) 情報提供義務について
医師は、診療中あるいは診療後において発生が予見される危険を回避するために、患者にその対処方法を説明する義務(療養指導義務)を負っているが、この義務の基準となるのは診療当時の臨床医学の実践における医療水準である。かかる基準を前提とした上で、医師の療養指導義務が具体的に検討されなくてはならないが、TENの発生機序自体が解明されていないうえ、アレビアチン等によるTENの発症は極めてまれなことであるから、昭和六三年当時の臨床医学の実践における水準では、豊永医師がアレビアチン等の投与による幸代のTEN発症を予見することは不可能であって、同医師には幸代のTENの発症を防止すべき具体的な注意義務まではなかった。
そして、通常薬剤を投与して発症しうる副作用は多岐にわたっており、アレビアチンを例にとっても、極めて多くの副作用を起こしうる可能性があるとされている。したがって、患者に不安を与えないようにしかもすべての副作用をもらさず説明することは困難極まりないことである。特に、副作用を重視しての説明は、患者にとって不可欠な治療効果を持った薬剤でさえ患者の服薬拒否を引き起こす可能性があり、かえって治療効果上好ましくない結果を招来することがある。そして、てんかん治療において、「副作用を心配するあまり、あるいは発作抑制が長期間に及ぶことから、独断的に自ら投与量を減量する」という患者や家族側のミスが多いことが指摘されているのであって、アレビアチンやフェノバールの投与については、右の事情を考慮せざるをえない。
また、ラキサトールは、幸代が処方を希望したことから、豊永医師が投薬の必要を認めて処方したものであるが、ラキサトールは要指示薬ではなく、医師からの処方箋の交付や指示を受けた者以外でも購入することが可能であり、一般的に広く服用されているものである。
以上のとおり、豊永医師が幸代に療養指導した昭和六三年当時の臨床医学の実践における水準では、一般に医師は「何かあればいらっしゃい。」と言って指導していたのであり、特に幸代のように、過去に薬剤によると思われるアレルギー反応を経験している患者の場合であれば、「何かあればいらっしゃい。」と指導するだけで、皮疹がでた場合に受診することは十分に期待できるのであるから、豊永医師の療養指導に問題はなく、控訴人武夫が主張するまでの情報提供義務違反はない。
(五) 控訴人の(五)項の主張は争う。一二月二日における幸代の皮膚症状は通常みられる皮疹であり、その皮膚状態の改善を図るため、肝障害用の抗アレルギー剤及び抗ヒスタミン剤の静脈注射をし、抗ヒスタミン剤を処方している。そして、幸代が近くの病院への通院を希望したことから高知記念病院を紹介したものであって、豊永医師の措置に不適切な点はない。
3 控訴人の損害は争う。
四 争点
1 TEN発症の原因
2 豊永医師の注意義務違反の有無
3 控訴人の損害
第三 証拠関係
原審及び当審記録中の書証目録並びに原審記録中の証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。
第四 当裁判所の判断
一 TEN発症の原因について
原判決「事実及び理由」の「第三 当裁判所の判断」の一項に記載のとおりであるから、これを引用する。
二 本件TENの原因について
原判決「事実及び理由」の「第三 当裁判所の判断」の二項1ないし4、5(一)及び(二)に記載のとおりであるから、これを引用する。
三 豊永医師の注意義務違反について
1 アレビアチン、フェノバールの投与について
髄膜腫の手術を実施するについて、痙攣発作のおそれがある場合には、術前、術後の管理として抗痙攣剤の投与が必要である(乙五)が、一〇月二七日の幸代の手術の実施に際し、豊永医師は、抗痙攣剤をデパケンから注射薬のアレビアチンに変更した。これは、デパケンは経口薬のみであって注射薬がないという理由によるものであり、手術当日には薬の経口摂取ができない(証人豊永)のであるから、痙攣発作を予防するためにアレビアチンの投与はやむをえないことであったといわなくてはならない。
その後の投与については、投薬の変更をした以上はその薬を継続し、アレビアチンとフェノバールを併用することが痙攣発作の防止のために通常行われている方法であること、約二〇年前に行われた手術(以後「前回の手術」という)の際の幸代の皮疹がアレビアチンによる薬疹であれば、投与後一、二日のうちに何らかの症状が出てくるので、幸代の様子を観察しながら投与を継続したこと(証人豊永)、また、投与した量についても通常の用量内であったと認められること(甲五、六、五九ないし六一)等の各事情からすれば、アレビアチン、フェノバールを投与したこと及びその量、両剤の併用について豊永医師に注意義務違反を認めることは困難である。
2 説明義務について
控訴人が主張する豊永医師の説明義務は、アレビアチン等の投与を承諾するかどうかを幸代自身が決定する前提として、薬剤の副作用についても説明すべきであると主張しているものと解される。
患者に対して投薬の必要がある場合、その薬剤の選択については、担当の医師が総合的な診療方針のもとに、最良と考えられる薬剤を決定すべきであって、その点については医師の裁量が認められるということができる。そして、薬剤の投与に際しては、時間的な余裕のない緊急時等特別の場合を除いて、少なくとも薬剤を投与する目的やその具体的な効果とその副作用がもたらす危険性についての説明をすべきことは、診療を依頼された医師としての義務に含まれるというべきである。この説明によって、患者は自己の症状と薬剤の関係を理解し、投薬についても検討することが可能になると考えられる。
幸代に対しては、抗痙攣剤の投薬の必要があったのであるから、その際の薬剤の選択は豊永医師に任されていたと解されるが、投薬の目的や効果、副作用については幸代に説明すべきであったということができる。
被控訴人は、アレビアチン等によるTENの発症する確率は極めて低く、死亡や重篤な後遺症等の重大な結果の発生が一定の蓋然性をもって予測されない以上、説明義務はない旨主張するが、副作用の発生率が極めて低い場合であっても、その副作用が重大な結果を招来する危険性がある以上は、投薬の必要性とともに副作用のもたらす危険性を予め患者に説明し、副作用の発症の可能性があっても、その危険性よりも投薬する必要性の方が高いことを説明して理解と納得を得ることが、患者の自己決定権に由来する説明義務の内容であると解される。
幸代は、前回の手術の際に薬疹と思われる皮疹が出たことを初診の際に述べており、豊永医師は、抗痙攣剤の副作用でTENが発症することがあることを投与時に知っていたが、投与する際に、幸代に副作用についての説明はしていない(証人豊永)。
しかし、右1で述べたとおり、髄膜腫の手術において抗痙攣剤の投与が必要であってデパケンに注射薬がなかった以上、豊永医師が他の抗痙攣剤ではなく、アレビアチン等を選択して幸代に投与したこと自体に過失を認めることはできず、また、投与に際しては、幸代が以前に薬疹と思われる皮疹が出たことから、十分な経過観察を行っていたことが認められることからすれば、入院中におけるアレビアチン等の投与の際に、幸代に対して副作用についての説明をしていれば、アレビアチン等ではなく他の抗痙攣剤を選択してTENの発症を防ぐことができたという因果関係を認めることはできない。
3 アレビアチン等の投与を中止すべき義務について
先に引用した二項3(一)の認定のとおり、幸代の咽頭痛、上気道炎は、TENの前駆症状であったとは認められないので、豊永医師には、この段階でアレビアチン等の投与を中止すべき義務を認めることはできない。
4 情報提供義務について
右2の説明義務について述べたとおり、医師には投薬に際して、その目的と効果及び副作用のもたらす危険性について説明をすべき義務があるというべきところ、患者の退院に際しては、医師の観察が及ばないところで服薬することになるのであるから、その副作用の結果が重大であれば、発症の可能性が極めて少ない場合であっても、もし副作用が生じたときには早期に治療することによって重大な結果を未然に防ぐことができるように、服薬上の留意点を具体的に指導すべき義務があるといわなくてはならない。
即ち、投薬による副作用の重大な結果を回避するために、服薬中どのような場合に医師の診察を受けるべきか患者自身で判断できるように、具体的に情報を提供し、説明指導すべきである。
豊永医師が幸代に与えた薬剤であるアレビアチン及びフェノバールは、いずれも副作用としてTENの発症が起こりうる薬剤であり、アレビアチンが原因と考えられる薬疹については豊永医師自身も以前に症例を経験していたこと(証人豊永)に加え、幸代は、前回の手術の際に薬疹と思われる皮疹が出たことがあって、薬剤に対して過敏であることが疑われたのであるし、薬剤によるアレルギーは、投与を始めてから一、二日の内に現れることもあるがその後ある程度の期間をおいてから現れることもあり、そのような場合には投薬を中止しなくてはならないことは豊永医師は十分に認識していた(証人豊永)のであるから、幸代の退院に際してアレビアチン等を二週間分処方するについては、単に「何かあればいらっしゃい。」という一般的な注意だけでなく、「痙攣発作を抑える薬を出しているが、ごくまれには副作用による皮膚の病気が起こることもあるので、かゆみや発疹があったときにはすぐに連絡するように。」という程度の具体的な注意を与えて、服薬の終わる二週間後の診察の以前であっても、何らかの症状が現れたときには医師の診察を受けて、早期に異常を発見し、投薬を中止することができるよう指導する義務があったというべきである。
ラキサトールの投与についても、ラキサトールの副作用としてTENの発症の可能性がある以上、要指示薬ではなく、幸代が希望したので処方したものであったとしても、同様の説明をすべきであったということができる。
そして、このような指導があれば、幸代としては発疹の出た一一月二〇日ころからあまり時間的に経過することのない時期に、くぼかわ病院等で診察を受けて早期に適切な治療を受け、死の結果を防止することができたものと解される。
被控訴人は、豊永医師にTEN発症の予見可能性はなかった旨主張するが、幸代は以前薬疹と思われる皮疹が出たことがあるのは豊永医師も知っており、昭和六三年当時、アレビアチン、フェノバール、ラキサトールの各薬剤による副作用としてTENの発症についての情報が、医師に対して一般的に知らされていた(甲一〇)以上、発症の可能性は極めて稀であっても、予見可能性はあったというべきである。
また、アレビアチンをとってみても極めて多くの副作用を起こす可能性があることは認められる(甲六〇)が、これらをもれなく説明するのは困難であるとしても、副作用の中でも重大な結果を招来するものについて説明し、情報を提供することは可能であったし、重大な結果の回避のために必要であったというべきである。
豊永医師は、幸代の退院の際に「何かあればいらっしゃい。」との注意をしただけであって、副作用を念頭においた具体的な指導は行わなかったのであるから、豊永医師には右の義務を怠った過失があると認めるのが相当である。
5 控訴人は、豊永医師が一二月二日に幸代を入院させる等の適切な措置をとらなかったと主張するが、証拠(甲一九、四六、証人豊永)によれば、幸代は、一一月三〇日にはくぼかわ病院での診察を受けて、既にアレビアチン等の投薬はなかったこと、発熱していた一二月三日には、豊永医師は当直の溝渕医師を通じて幸代を入院させたこと、また、一二月四日には日曜日で外来の診察がないために皮膚科の当直医師に往診を依頼し、その翌日には皮膚科の外来で受診させていること等の各事情が認められるので、できるだけの治療をしていたものと認められ、単に内科を紹介したにとどまったということはなく、一二月二日に幸代を入院させなかったとしても、その措置が適切でなかったとはいえない。
6 以上、豊永医師には、右4で述べたとおり、幸代の退院時の情報提供義務(療養指導義務)を怠った過失が認められるので、被控訴人はその使用者として民法七一五条の責任を負うというべきである。なお、控訴人は、債務不履行(幸代と被控訴人間の医療契約(準委任契約)の不完全履行)による損害賠償も請求しているものと解されるが、証拠(甲二、控訴人武夫本人)及び弁論の全趣旨によれば、幸代には子二人が現在健在であることが認められるから、特段の主張、立証のない本件では、幸代の弟である控訴人武夫も父の亡田邊義治も幸代についての相続権はなく、幸代の右契約上の債権を承継取得しているものとは解されない。したがって、右請求は理由がない。
四 控訴人武夫らの損害
1 幸代は信頼していた医師の処方した薬剤によって、思いもかけないTENという重篤な皮膚病に冒され、治療のかいもなく無残な死の転帰に至ったものであって、亡田邊義治は幸代の実父であるから、無念な思いであったことは疑いがなく、被害者である幸代の死亡による固有の慰謝料請求権を有し、その額としては金三〇〇万円が相当である。
なた、弁護士費用としてはその一割である金三〇万円が相当である。
したがって、控訴人武夫は、相続分である三分の一に当たる金一一〇万円を承継している。
2 控訴人武夫は幸代の実弟であるが、同居の親族というわけではなく、幸代とは仲が良かった(控訴人武夫本人)という事情は窺えるものの、精神的、経済的に幸代と密接な関係にあって、特に民法七一一条所定の者と実質的に同視すべき程度の関係にあったとまでは認めるに足りず、固有の慰謝料を認めることはできない。
他に控訴人武夫の慰謝料請求を認めるに足りる証拠はない。
第五 結論
以上のとおり、控訴人武夫の請求は、亡田邊義治承継人として、被控訴人に対し、損害賠償として金一一〇万円及びこれに対する幸代の死亡した昭和六三年一二月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるのでこれを認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきであるから、これと結論を異にする原判決を右趣旨に従って変更することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大石貢二 裁判官馬渕勉 裁判官重吉理美)